足かけ六年。


呪いは叶えられていた。

誰かを呪うほど好きになることなんて
もうない。


もう決して誰のことも
呪ったりしません!

だから
どっかにいるのかいないのか
わからないけど
神様と呼ばれる人。


あの子が、わたしが
もう
ひとりぼっちになったりしませんよう。


呪いでも
祈りでも
叶えられたら
空に放す。

そういうもんだ。

土曜日
浅草橋から吉祥寺まで神田川コンプしようの会。


歩く歩く歩く。


三十路スギもしくは三十路アラウンドなバカどもが


あるくあるくあるく。


母校にも立ち寄る。
ワセベンのから揚げこんなうまかったっけー




最後は神田川の源泉
井の頭公園にゴール。


吉祥寺にらいかないでたらふく食って帰りました。


もう我々、かれこれ10年以上の付き合いです。
この付き合いの中ではぐくまれたモンも
見事にそれぞれのアイデンティティ要素に溶け込んでるってわけよ。


誰に胸を張るか。
誰との誓いを胸に抱き続けるか。


そーゆーこと。
人生で大事なのは
そーゆーこと。

咳がとまらない
声がでない

言葉を発しない生活は
なかなかこれはこれでよいものと思われます。


普段自分が口から発している、短絡的なその場しのぎの言葉が
どんなに
汚しているか
不愉快か
自分を疲れさせているかわかります。

ただ忘れていくだけだ。

一番いいのは
思えばあの時が最後だったのか
と時間がずっとたってからしんみり思って、
一瞬で忘れること。


伝えることと
理解することと
過不足なくやったね。


結末は私たちには属していないのだ。
もう用意されていて
そこに向かうことしか
できないのだ。


時間稼ぎや無理な遠回りの道すがら

ほんの一瞬光を見るんだ。


その光は刻まれる。

もっと近くで、
もっとはっきりと
手にとるところまで


行けやしないのはわかってても
刻まれてしまったら
探さずにはいられない。

もっと
おおきな
あかるい
ひかり


だから一つ道が終わっても次の道を歩きだす。


決してつかめない光を追っかける
目的は
それだけだ。


弔い完了。


もっと光を。