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足かけ六年。
呪いは叶えられていた。
誰かを呪うほど好きになることなんて
もうない。
もう決して誰のことも
呪ったりしません!
だから
どっかにいるのかいないのか
わからないけど
神様と呼ばれる人。
あの子が、わたしが
もう
ひとりぼっちになったりしませんよう。
呪いでも
祈りでも
叶えられたら
空に放す。
そういうもんだ。
今やれすぐヤレ
このタイミングは
しんみりしてなさいってことではなく
再起をかけろってアレだ!
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咳がとまらない
声がでない
言葉を発しない生活は
なかなかこれはこれでよいものと思われます。
普段自分が口から発している、短絡的なその場しのぎの言葉が
どんなに
汚しているか
不愉快か
自分を疲れさせているかわかります。
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ただ忘れていくだけだ。
一番いいのは
思えばあの時が最後だったのか
と時間がずっとたってからしんみり思って、
一瞬で忘れること。
伝えることと
理解することと
過不足なくやったね。
結末は私たちには属していないのだ。
もう用意されていて
そこに向かうことしか
できないのだ。
時間稼ぎや無理な遠回りの道すがら
ほんの一瞬光を見るんだ。
その光は刻まれる。
もっと近くで、
もっとはっきりと
手にとるところまで
行けやしないのはわかってても
刻まれてしまったら
探さずにはいられない。
もっと
おおきな
あかるい
ひかり
だから一つ道が終わっても次の道を歩きだす。
決してつかめない光を追っかける
目的は
それだけだ。
弔い完了。
もっと光を。