なんで
みんな最後には
死に回収されてしまうのに
生きて泣いたり笑ったり食べたり吐いたりして
馬鹿みたい。
この刹那的な営みになんの意味を持たせたいのか
神様は。


そして何の意味を見出だしたいのか

私たちは。


そういう原理(すべては刹那である)を激しく意識しながらも
思うように
好きなようにやれないのは、
やらないのは
なぜかってこと。


という、小学生に教える哲学みたいな疑問。


例えば、社会的な法的な結末を見る可能性が非常に低い恋愛に
適齢期を過ぎた、それなりに聡明な(はずの)わたしたちが
身を砕いてしまうのはどうしてだろうか。


非常に刹那的な存在であるはずのわたしたちに
記憶装置がついているのはどういうことだ?


そそいでも、そそいでも、満たされることがない心という器は、
やっぱ底に穴があいてんのかしらね?


その穴を埋めるのはやっぱ愛ですか。
じゃ、愛ってなんですか?


それがなんだかわかんないけど、
どうやら愛されることでは満たされないらしい。
愛することで満たされるようなキガスル。
でも何を愛せばいいのかは、いまいちわかんない。


名前に「哲」なんてつけやがって。
めんどくせーことばっかり考える子供のままか。


最終的な結論が死にならないことだけ
そこだけ。


ダイジョブ、死ぬほうがめんどくせーよ。